NHKで放送された、分科会の尾身先生と、EXITのりんたろー。さんの対談文字おこし。 記事としてもかなり長いものですが、実際の放送を観てみたかったと感じる良い内容の対談。一番感じるのは、やはり尾身先生の人格というか、存在感というか、気品というか、過去の感染症対策活動での功績は勿論ですが、やはり人としての素晴らしさをここからも感じられます。対するEXITのりんたろー。さんも、コンセプトである「渋谷系チャラ男」という印象は全く違った真面目な印象で、それでは「個性消えちゃうよ(by さんちゃん)」と思うけれど、介護士として現場で長く仕事をしていたからこそ、その経験からにじみ出る心に響くコメントが生まれてくるんだろうなぁ。
対談の中心テーマは、新型コロナウイルス対策での、若者層への遡及不足について。正直りんたろー。さんはちょっとその対象から見ると年上だと思うけれど(笑)、気持ち的には「若者」という括りで良いのだろうな。個人的に感じるのは、本来そう言う情報伝達を担う既存メディア自体が、「若者離れ」を起こしていることが最大の理由じゃないだろうか。逆に、それらメディアの報道とは距離を置いているから、変な認識を持たないメリットもあるだろうし。でも、「若者離れ」という課題を抱えているメディアが、コロナ禍情報からの「若者離れ」の問題を取り上げるのって、何か矛盾していないか?
ちょっと興味深いなと思ったのが、メディアが伝えていないから、自分から発信することを躊躇したというりんたろー。さんの発言。自分がネットに関わりだした頃(もう40年近く昔)でも、ネット参加者の中で発信(発言)するのは、多くても1割いるかどうか。その中でもアクティブな人は、さらに少ないのが普通で、それは今のSNSの時代になってもそんなに変わらないと思う。逆に、SNSで収益化できるようになったから、アクティブな発信に対してはどんどん興味が集まるけれど、人気が無くなるのもあっと言う間な訳で、そうなると発進回数であったり内容が過激化してったりと、発言回数は増えてもその情報品質は低下していってしまう。勿論、若者層が利用しているメディア(SNS)の、例えばTikTokとかInstagramとかを媒体として使えばまた違った効果が生まれるんだろうけど、それを既存メディアに望むのも無理があるだろうし。
一通りの記事を読んで感じたのは、幾らメディア離れしている若者層としても、例えば自分達に某かの利益(あるいは不利益)があると分かれば、オールドメディアにも積極的にアクセスして、そこから自分達の主戦場へ情報が流れるんじゃないかという事。例えば感染当初は、高齢者が感染しやすく重篤化しやすいという事で、そう言う関連情報が流れて、それと同時に若年層には感染しづらい、感染しても軽傷で済む、みたいな話が広まりました。その後、必ずしもそうでは無く、また入院など重篤化しなかったとしても、味覚障害とか後遺症が残ると言う事も分かってきたけれど、その時点では若者層はその情報接点から離れてしまっていた。時々、そう言う体験談みたいなものを、ネット記事などで見かけたこともあるんですが、やはりもっと積極的にそう言う不利益を伝える事も重要だったんじゃ無いだろうか。年末年始の時には、帰省しておじいちゃんおばあちゃんに感染させないようにと言う話が結構流れましたが、あれは有る程度の効果があったと思う半面、もっとあの情報が若者層に伝わりしっかり理解して貰えていれば、年始の感染爆発はもっと少なかったと思うんですよね。最後に、尾身先生が掲げている「若い人達と話す喜び」という言葉と眼鏡越しの笑顔を見ると、このコロナ禍に置いて、この先生が日本で陣頭指揮を執っていることの幸運を感謝するしか無いですよね。日本では、他国と比べるとまだ感染度合いは少ないと言って良いのだけれど、その「ファクターX」はもしかしたら尾身先生や周りの医療関係者・関係者の努力だと思う。
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