パーソナルトレーナーの清水忍氏の著書「 ロジカル筋トレ 超合理的に体を変える」の紹介記事。トレーニング、特に筋トレ(筋肉トレーニング)では、とかく「〇〇kgを何回上げた」みたいな「回数主義」に陥りがちだけれど、回数をこなすのでは無く、以下に正しい手続き・正しいフォームで体を動かすかという事の方が重要というか、それが本来の「トレーニングの趣旨」。
私が高校時代の時には、陸上部に所属していて、その中でも「短距離(100m/200m)」の選手として、日々部活動に励んでいました。その当時の恩師は父親の高校時代の同級生という事も有り、色々と厳しい指導も受けたんですが(笑)、当時としては最先端のトレーニング技術である西ドイツの情報を個人的に収集していて(教え子を西ドイツの大学へ留学させていたりしていた)、多分当時の陸上競技社会では最先端のトレーニングをしていたと、今でも思っています。当時は、高校陸上部では殆ど見られないような、例えば今では常識なテーピングを練習前に必ずやっていたし、フォームチェックのためにビデオ撮影(今のようにスマホとかハンディカムなんて無いから、大型のビデオカメラ、しかも録画媒体はオープンリールのテープ)を、毎日していてチェックしていましたから。
そんな練習の中で、先ず最初に1時間位徹底してやっていたのが「動き作り」と呼ばれていた、走る・跳ぶ・投げるという種目毎の基本動作を、ゆっくりと何度も繰り返す練習。私は短距離部門だったので、30m位の距離を、走る動作をゆっくりとしながら移動する(言葉で説明するのは難しいのですが、走る動作をスローモーションのように、かつ部分的に強調しながら歩く動作)事を繰り返し、その後はバウンディングや短い距離のダッシュ練習など、本当に基本的な動作を徹底的にやらされました。その後、専門練習の、例えばスタートダッシュ練習とか、後半の加速を維持するために、加速走と言っていたスピードを落とさずに走りきる練習とか、今でも体が覚えている位なので、かなり徹底していたと思います。で、そう言う練習は出来るだけビデオに撮影していて、都度その場で再生してフォームや動作を確認していたので、一寸でも変な動作をしたり、疲れて手を抜くと直ぐに怒られます。ある意味、システマチックなPDCAの原体験みたいな事を、高校生時代に経験していたと後で思い出して感じるんですが、あの経験は貴重でした。
その「回数主義」というのは、仕事で言えば「9時-5時勤務」みたいなもので、時間で仕事をすることもそれに近いんじゃ無いかと思います。仕事の内容や結果にかかわらず、毎日8時間勤務すればその分の給与が支払われる。それに対して「裁量主義」は、実際の作業時間では無く、成果に対して対価が支払われるわけで、その対比がそのままこの筋トレの話にもあてはなるのかなと感じます。勿論、筋トレなどスポーツトレーニングでは、質を追求しようとしても、その為に必要な「情報(=コーチ)」が無いと、結局は我流でやるしなく、その時に頼りになるのは「回数」なんですよね。仕事でもそうですが、質の高い仕事や成果を出そうとすると、どうしても他の人との連携とか情報収集能力、あるいは自分自身の資質とか色々な物が必要。それに対して、職場に出かけて決まった時間仕事をする場合、周りに人もいるから色々な支援が期待出来るし、向こうから情報が入ってくることも多い。それ故に、連帯感とか何か有った場合に集団で対応出来るというようなメリットもあるけれど、個人の成長という点では難しい環境であるとも感じます。そう言う事を解決するためにも、例えば自分の職場では結構昔から「メンター制度」と言う、先輩社員やその職種での経験者が、後輩や新しく仕事を始める人の「師匠」的立場で指導する仕組みがあります。そう言う事を、トレーニングでも進めるというのは、最初に書いたコーチングの事含めて重要だと思いますね。ネットの時代、「集合知」とか「経験知」というものが共有出来るようになってきたけれど、それはあくまで一つの「共通項」なので、個人個人にフィットする場合・しない場合もあります。その隙間を埋めていくのが、そう言う専門性を持った一人一人の存在だと思います。どちらが良い・悪いのでは無く、上手くその時その時に対応していく、組み合わせて行く工夫こそが一番の肝なんですよね。
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