既に結論が出ている話ではあるけれど、問題なのは「そう言う発言があった」という事よりも、是々非々の話が出来ないことだよなぁ。仮にこれが与党議員の発言であったなら、立憲民主党はどう言う態度を取るのか、それは以前の森喜朗前会長の軒を見れば火を見るより明らか。さらに、元々は「そんな発言は無かった」と発言自体を否定していたのに、発言があったことを認めると、「謝罪しているので」と治めようとしているし。
今回の発言は、立憲民主党のワーキングチーム内での発言という事で、一時は立憲民主党自体がその発言を認めていたことになるわけですよね。その発言が出たときに諫める同僚議員はいなかったのだろうか。また、その発言が表に出てメディアで報道されたときも、最初は「そんなものは無かった」と否定していたわけです。言い換えれば、政党ぐるみで発言を隠蔽していたことになる。この政党の信用できないのは、他人には因縁まがいの要求を突きつけるくせに、身内のことになると大甘になる事。「ダブスタ(ダブルスタンダード)」と言うよりも、以前有った「愛国無罪」ならぬ「身内無罪」と言う感じ。
今回の件にしても、以前のオリンピックの開会式のアイデアだしでの件にしても、あるいは森前会長の発言にしても、少なくとも本人がその発言を認めて謝罪をして取り消したのであれば、それが犯罪行為で無ければそこで終われば良いだけの話し。勿論、例えば今回の発言が「そう言う事例も想定できる」ではなく「そう言う事例を進めるべき」みたいなより過激な内容であれば、それによってはそれだけでは済まないこともあるだろう。でも、少なくともメディア報道で見る限りは、極端な例では有るけれど一例として出されただけのように見えるし、それは意見の一つとして処理されれば良いだけの話し。問題なのは、その後の対応である事は明白。一番良いのは、その場でその発言に対して「余りに極端な例ではないか」と指摘し発言者も「適切では無かった」と訂正すること。あるいは、発覚後に言うのであれば「一例として取り上げたつもりだが、例として適切では無かったので取り下げる」と言えば良いだろうし。それを組織ぐるみで隠蔽して、発覚後も「問題なし」と言いながらも、裏では叱責するみたいなことをやっている事が問題。
与党・野党関係無く、政党として一番必要な事は「是々非々の議論」が出来ることだと思うんですよね。その為には、ありきたりな発言だけでは無く、場合によっては極端な事例、今回の様に特異な例という意味だけで無く、凄く稀な場合であるとか、想定されないような事例も含めて検討するべきで、その中からリスクとメリットの塩梅を見ながら、ベストでは無いけれどベターな決定を探すのが仕事のはず。こう言う態度を取るのは、今回が初めてでは無く過去にも不祥事議員に対しての対応や、自分達の不適切な行為・行動に対して対応とか、散々見てきているから不思議では無い。彼らは、それで済んだと思っているだろうけど、結局そう言う信頼出来ない行為がずっと続いているから、与党の支持率が上がり下がりしても、自分達への指示はずっと低迷したままなんですよね。今は、会期末を控えて「内閣不信任提出」をちらつかせているけれど、与党にとっては出されても否決するだけの話。逆に野党にとっては、それを理由に解散・総選挙になると今の所分が悪い。解散は、ぎりぎりまで伸ばしてコロナ禍が落ち着いて与党の支持率が上がったところで打って出ると言われているけれど、その場合野党惨敗は目に見えているわけで、それなら今不信任案を提出して「今に賭ける」のも一手ではないだろうか。まぁ、そこまでの覚悟は無いだろうけど。
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